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合計特殊出生率

女性一人当たりが生涯で出産する子供の数の平均。 先物取引の『ギリシャ芸術模倣論』(1755年)、『古代美術史』(1764年)はギリシア・ローマ美術を賛美し、芸術は自然を理想化すべきものであり、古代ギリシアにおいて達成されていると説いた。ヴィンケルマンの著作は各国に大きな反響を呼び、新古典主義美術の理論的支柱となった。 様式史 ハインリヒ・ヴェルフリンは『美術史の基礎概念』(1915年)でルネサンス美術とバロック美術を対比させ、「様式史」の概念を確立した。例えば、平面的なルネサンスに対し、奥行きのあるバロックなどの対比的な特徴を挙げた。 図像解釈学(イコノロジー) パノフスキーが『イコノロジー研究』(1939年)で提唱した概念。絵画の背後にある作家の心理、世界観まで解釈しようとするもの。 美や芸術あるいは趣味の問題を扱う哲学である。伝統的美学は、美とは何か(美の本質)、どのようなものが美しいのか(美の基準)、美は何のためにあるのか(美の価値)といった問題に取り組んできた。いわば美の形而上学ともいえよう。審美学という訳語は旧称であるが、その提唱者は森鴎外である。広義の美学は道徳的な美や自然の美を含むが、芸術の哲学とされることも多い。今日では、美の概念そのものの探究より、個別の美的経験・芸術領域・芸術と他の人間活動との関係の研究がさかんである。 FXに美術史とされるものは上記のような過程を経て形成されてきたが、巨匠や天才が遺した傑作、ハイアートの発展を記述したものになっている。例えば「西洋美術全集」といった美術書を見ると、古代から中世を経て現代に至るまでの名作がルネサンス、ロマン主義、印象派などと様式ごとに分類され、歴史的に発展してきたかのように整然と記述されている。こうした美術史をカノン(canon、正典の意味)と呼んで批判する見方がある。 ドイツの哲学者アレクサンダー・バウムガルテンが1750年に『美学』 (Aesthetica) を出版したことが、美学が哲学の一領域として定式化される一つの契機となった(バウムガルテンは、最初の著作『詩についての哲学的省察』の中で既に、詩の美学的価値の原理的考察を思考する学として aesthetica という学を予告している)。 この aesthetica という語は、ギリシア語 aisthesis の形容詞 aisthtike をラテン語化したもので、二つの語義を持っていた。一つは「感性的なるもの」であり、他方は、「学問」(episteme)という語が省略(ギリシア語での慣例による)された語義である「感性学」である。 バウムガルテンがどちらの意味でこの語を使用しているかはその諸著においても曖昧であるが、遅くとも『美学』以降では、後者の意、さらに詳しく言えば「感性的認識論 scientia cognitionis sensitivae」の意で用いていることは明らかである。 バウムガルテンによれば「美は感性的認識の完全性である」(『美学』14節)であるから、aesthetica(「感性的認識論」)は「美について考察する学 ars pulcre cogitandi」(同1節)である。一方、「完全な感性的言語 oratio sensitiva perfecta」(「詩」を指している)を典型とする芸術一般は美にかかわるから、aesthetica は「芸術理論 theoria artium liberalium」(同1節)である。 ( aesthetica = 感性的認識論 = 美について考察する学 = 芸術理論 ) バウムガルテンの体系においては、美や芸術に関する学的考察である感性的認識論は、理性的認識論との対比において「疑似理性の学 ars analogi rationis」であり、「下位の認識論 gnoseologia inferior」(同1節)として位置づけられた。 その淵源はプラトンにまで遡る。イマヌエル・カントの『判断力批判』、シェリングの『芸術の哲学』講義、ヘーゲルの『美学』講義などを経て、フィードラーの「上からの美学」批判を受け、現代に至る。現代美学において特筆すべきは、・実存主義・分析哲学・ポスト構造主義によるアプローチであろう。 バウムガルテン(1714-62)は、ライプニッツ・ヴォルフ学派の系統に属す。「美学」(aesthetics/英)という学問の名称は、彼が、「感性」を表すギリシャ語から作ったラテン語の造語「Aesthetica」に由来する。彼はフランクフルト大学で1742年からこの「美学」の講義を始め、その後も再度の講義要請があったことから、もとの講義内容に若干の加筆修正を行い、これをラテン語で出版した。『美学(Aesthetica)』第1巻は1750年、更に第2巻が1758年に出版された。 美学(自由学芸の理論、下級認識論、美しく思いをなす技術、理性類似物の技術)は、感性的認識学の学である。(第1節) 美学の目的は、感性的認識そのものの完全性にある。然るに、この完全性とは美である。そして、感性的認識そのものの不完全性は避けられねばならず、この不完全性は醜である。(第14節) 美学の出発点は、知性的認識の学としての論理学を感性的認識の学で補完することにあった。 日本語の「美学」は、中江兆民がVeronの著作を訳して『維氏美学』と邦題を付けたことによる。日本の高等教育機関における美学教育の嚆矢は東京美術学校および東京大学におけるフェノロサのヘーゲル美学を中心とした講義、森林太郎(森鴎外)による東京大学におけるE. V. ハルトマン美学ら当時の同時代ドイツ美学についての講演、およびラファエル・フォン・ケーベル(ケーベル先生の呼称で知られる)による東京大学での美学講義である。また京都においては京都工芸学校においてデザイン教育を中心とする西洋美学および美術史の教育がなされた。なお東京大学は独立の一講座として大塚保治を教授に任命、美学講座を開いた世界で最初(1899年)の大学である。 日本における主要な美学関連学会としては美学会があり、雑誌『美学』(年四回)および欧文誌 Aesthetics (隔年)を発行している。毎年十月に行われる全国大会のほか、年五回関東および関西で研究発表会が開催される。なお2001年の国際美学会議(4年おき開催)は日本で行われた。 近代以前の日本には、西洋のような一貫した形での思索の集大成としての「美学」はない。しかし、いき、わびなどの個別の美意識は、古くから存在しており、また茶道や日本建築、伝統工芸品などを通して、さまざまな形で実践されてきた。また、歌論、能楽論、画論などの個別の分野での業績はあるものの、孤立した天才の偉業という色彩が濃く、一枚岩の美学ではない。これらの美意識は、自然と密接に関連しているが、西洋美学は、近代以前はもっぱら「人間」を中心に据えた「芸術」のために発展した。そのため、日本の美意識は、西洋美学の視点からは、十分に記述・説明することができない。近代以前の日本の事物について、「芸術」という視点を持つ美学から論じると、学問的文脈を無視した議論となり、慎重を期すべきである。日本人自身も、日本の美意識を、明快に定義・説明することが困難であるのが現状である。今後、複数の視点を生かした研究が待たれる。 紀貫之は『古今和歌集』仮名序で、和歌が純粋な心の結実であるとした(「やまと歌はひとつ心を種としてよろずの言の葉とぞなれりける」)。そして和歌が天地開闢の時から出来したと述べ、和歌に結集する芸術は、生きとし生けるものの生の表現が人間にあってその精華を開花させたものであるとした。 近年の美術史においては方法論への関心も高く、社会史やフェミニズム、文芸批評といった他分野の方法論を美術史に適用する動きも活発である。作品の成立において、社会的コンテキストやジェンダー、階級などとの関わりが、きわめて重要なものとして扱われるようになってきている。 1980年頃に盛んになった研究の動向を指し、従来の美術史がいかにヨーロッパ中心であったか、男性中心であったかなど、従来の美術史が当然の前提としていたものを問い直そうとした。ポストコロニアリズムやフェミニズムなどの動向とも結び付いていた。 ビジュアル・カルチャーen:Visual culture 美術館に収められるようなハイアートのみでなく、写真、映画、マンガなど視覚に関わる様々なメディアを総体的に把握しようとするもの。カルチュラル・スタディーズの動向と結びついている。