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企業年金連合会
企業年金連合会は、全国の基金の合意に基づいて設立された、全国で1つの連合体としての特別認可法人である。企業年金連合会は、基金の中途脱退者及び解散基金加入員に対する年金給付の支給を一元的に行っている。
外国為替証拠金取引に江戸の俳人を中心に絵暦が流行し、絵暦交換会が開かれるようになった。その需要に伴い鈴木春信らが多色刷りによる東錦絵(吾妻錦絵)を編み出したことで、浮世絵文化は本格的開花期を迎えた。多色刷りが可能になった背景には、重ね刷りの際の目印となるよう「見当」が工夫されたこと、複数回の刷りに耐えられる丈夫で高品質な紙が普及したことが挙げられる。越前奉書紙、伊予柾紙、西野内紙などの楮を原料とした紙が用いられた。また、経済の発展により下絵師、彫師、刷師と複雑な工程の分業体制を整えることができた点も重要である。
鈴木春信の死後、美人画は中性的・人形的な絵柄から写実的なものへと変化していった。
安永期、北尾重政は写実的な美人画で人気を博した。役者絵にも写実さが加わり勝川春章によってブロマイド的な似顔絵が描かれた。
さらに喜多川歌麿が登場し、繊細で上品で優雅なタッチで、美人画の大首絵を数多く手がけた。
寛政2年、改印制度ができ、出版物に様々な規制がされた。
寛政7年、禁令のため財産を没収された版元蔦屋重三郎が起死回生を狙い、東洲斎写楽が売り出される。独特の誇張された役者絵によって話題を呼ぶが、特徴を誇張しすぎ、人気が振るわなかったことと、歌川豊国『役者舞台姿絵』の絶大な人気に敗退した。
その後、豊国の弟子たちからなる浮世絵絵師最大派閥である歌川派が形成されていった。
文化4年から安政5年ごろまで。 喜多川歌麿の死後、美人画の主流は渓斎英泉が描くような官能的な色っぽい美人や可愛げに移っていく。
外国為替の門人、葛飾北斎は旅行ブームに伴い『富嶽三十六景』を手がけ、それが元で歌川広重 によって『東海道五十三次』が刊行された。この二人によって浮世絵における名所絵(風景画)が発達した。
役者絵では歌川国貞が師匠歌川豊国の流れを受け継いで、力強い役者絵を手がけた。
また、草双紙で伝奇ブームに伴い、歌川国芳などによって武者絵が描かれるようになる。 歌川国芳の『水滸伝』シリーズは当時人気を博し、浮世絵「水滸伝ブームがおこる。
嘉永6年刊行の『江戸寿那古細見記』に「豊国にがほ(似顔絵)、国芳むしや(武者絵)、広重めいしよ(名所絵)」と書かれた。
芳年作 和漢百物語 小野川喜三郎安政6年から明治45年ごろを指す。
黒船から、異人文化に興味を持った人々によって、横浜絵が流行する。維新後は珍しい西洋建築や鉄道を描いた開化絵が横浜絵にとってかわる。
明治維新によって混乱した国内で歌舞伎や見世物でグロテスクなものが登場し歌川国芳の門人落合芳幾と月岡芳年によって血みどろで無残絵と呼ばれる種類の『英名二十八衆句』や、新聞記事を題材とした新聞錦絵を描いている[1]。
月岡芳年は繊細で写生を重視した絵柄で無惨絵ばかりでなく数多くの歴史画、風俗画をてがけ、「最後の浮世絵師」と呼ばれるようになる。また、弟子には積極的に浮世絵以外の絵を学ばせたため、鏑木清方のように多くの門流が挿絵画家や、日本画家として大成し、浮世絵の伝統は他のジャンルへと受け継がれていった。
また、河鍋暁斎のような狩野派の画家から浮世絵を描くものも登場する。
小林清親は光線画と呼ばれる輪郭線を使わない新しい風景画を手がけた。
歌川芳藤は子供のための玩具絵と呼ばれる、今で言う紙でできた付録のようなものを浮世絵で手がけ、その工夫がうけて玩具絵専用絵師として活躍した。「おもちゃ芳藤」とまで呼ばれた。
次第に、浮世絵は新聞や写真、石版画などの新技術に押されて衰退していく。浮世絵師は写真に対抗し、工夫したが多くのものが失敗し、挿絵画家などへの転向を余儀なくされた。江戸時代からずっと続いた浮世絵の歴史は、日清の戦争絵を最後としてほぼ終焉を迎える。
大正から昭和にかけて、川瀬巴水らは浮世絵の復興を目する新版画として、浮世絵の木版多色刷り技法を活かした作品を多数残している。
菱川師宣、鳥居清信、鳥居清倍、鳥居清満、懐月堂安度、懐月堂安知、懐月堂度繁、宮川長春、西川祐信、奥村政信、奥村利信、西村重長、石川豊信、鳥居清広、月岡雪鼎、川又常行、川又常正、
中期(明和から文化)
鈴木春信、礒田湖龍斎、北尾重政、窪俊満、一筆斎文調、礒田湖龍斎、勝川春章、勝川春好、勝川春英、勝川春湖、歌川豊春、鳥居清長、勝川春潮、窪春満、北尾政演(山東京伝)、北尾政美、喜多川歌麿、烏文斎栄之、栄松斎長喜、烏高斎栄昌、一楽亭栄水、東洲斎写楽、歌川豊国、歌川国政、歌川豊広、
後期(文化から安政)
葛飾北斎、昇亭北寿、柳々居辰斎、 葵岡(魚屋)北渓、葛飾応為、二代喜多川歌麿、菊川英山、渓斎英泉、鳥居清峰、歌川国安、歌川国虎、二代歌川豊国(歌川豊重)、三代歌川豊国(歌川国貞)、歌川国芳、歌川広重 (安藤広重)
終期(幕末から明治)
橋本貞秀、二代歌川広重(歌川重宣)、歌川芳藤、落合芳幾、月岡芳年、河鍋暁斎、豊春国周、三代歌川広重、三代歌川国貞、歌川貞秀、二代目長谷川貞信
小林清親、井上安治、小倉柳村、楊洲(橋本)周延、小林永濯、尾形月耕、水野年方、山本昇雲、井上探景、歌川芳虎、歌川芳鶴
浮世絵版画のながれ(大正から昭和)
恩地孝四郎、川瀬巴水、北野恒富、小早川清、弦屋光渓、橋口五葉、山本鼎、吉田博
娯楽出版物を扱う地本問屋(じほんといや)が浮世絵の版元となっている。 当時、町人は苗字帯刀が許されておらず、鶴屋などは屋号で、苗字ではない。
鶴屋喜右衛門(鶴屋) - 老舗の一つ。「東海道五十三次」を途中まで出版。
和泉屋市兵衛
西村屋与八 - 「冨嶽三十六景」など北斎作品を多く手掛ける。
蔦屋重三郎
丸屋甚八
三河屋利兵衛
山口屋藤兵衛
伊場屋勘左衛門 / 伊場屋仙三郎(伊場屋 / 伊場仙) - 東海道張交図絵(歌川広重)。元は幕府御用の和紙・竹製品店。それにもかかわらず、風刺絵や役者絵禁止令が出された後にも「落書き」と称して役者絵を出版している。団扇絵を多く手掛け、現在は日本橋で団扇、扇子、カレンダー業を営み、新宿伊勢丹、日本橋三越、銀座伊東屋などに出店している。
有田屋清右衛門 - 「東海道五十三次・有田屋版」(歌川広重)
伊勢屋利兵衛 - 「東海道五十三次 絵本駅路鈴」(葛飾北斎)
魚屋栄吉(魚栄)
上村与兵衛(上ヨ / 上村) - 後発の新興版元。弱冠22歳の歌川国政を抜擢し、鮮烈なデビューを飾らせた。
加賀屋吉兵衛
亀屋岩吉
川口屋正蔵
蔦屋吉蔵 - 「東海道五十三驛之図」、「東海道・蔦屋版」(歌川広重)
西村屋祐蔵 - 「富嶽百景」(葛飾北斎)
藤岡屋彦太郎 / 藤岡屋慶次郎 - 「東海道風景図会」(歌川広重・文:柳下亭種員)
風景、歌舞伎役者や相撲とりまたは遊女の似顔絵などが描かれた。戯画的な要素をもった現代の漫画にあたるものも多い。中国画や大和絵の題材になる伝統的な主題を浮世絵風に転化することもあった。
また、色事を主題にした春画も、ほとんどの著名な絵師が描いている。春画はセットで販売されることが多かった。販売価格が高かったために製作費を多くかけることができ、技術的にも高度なものが作られた。現実の性風俗を茶化した要素があり必ずしも扇情的ではないなど、単純にポルノとして把握することはできないと指摘される。