社会保険労務士試験に挑戦!
infomation
社会保険労務士試験情報
合格率 8.5%
合格者数 3,925名
出題傾向・配点 選択式(80分)8問で40点満点。
択一式(210分)70問で70点満点。
合格基準 ●選択式試験は、総得点22点以上かつ各科目3点以上(ただし、労基法及び安衛法、労災保険法、雇用保険法、社保一般常識、厚生年金保険法は2点以上)である者。
●択一式試験は、総得点41点以上かつ各科目4点以上(ただし、労基法及び安衛法、労働社保一般常識は3点以上)である者。
(平成18年度)
<社会保険労務士試験スケジュール>
4月中旬
願書配布
4月下旬〜5月下旬 願書受付
8月下旬 試験日
11月中旬 合格発表
レーシックの平城遷都に際し、当時飛鳥にあった法興寺(元興寺)、大官大寺(大安寺)、薬師寺、厩坂寺(興福寺)などの寺院はこぞって新京へ移転した。また、新京には東大寺、西大寺、唐招提寺などが新たに建立された。時の政権は仏教を厚く保護し、寺院の造営、仏像の造立、経典の書写などは国家の事業として実施された。中でも聖武天皇は仏教に深く帰依し、東大寺に大仏を造立し、また各国に国分寺・国分尼寺を建立することを命じた。平城京に都があった時代の文化は、年号から「天平文化」と呼ばれ、国際色豊かな仏教文化が栄えた。東大寺の倉庫であった正倉院の宝物は聖武天皇の遺愛品を中心とする8世紀美術の宝庫で、日本製品とともに唐からの舶載品を数多く所蔵する。天平時代は華やかな時代というイメージがあるが、一方で天災、凶作、権力者同士の抗争などが相次ぐ不安定な時代でもあった。
平等院鳳凰堂平安遷都の794年から1185年頃まで、9世紀から12世紀に至る約4世紀にわたる時代である。美術史では、遣唐使が廃止された894年あたりを境にして、以前を平安時代前期、以後を平安時代後期(藤原時代)と呼ぶことが多い。特に彫刻史の方面では平安時代前期を貞観(じょうがん)時代または弘仁時代と呼ぶこともあったが、特定の元号で平安時代前期を代表させることにはあまり意味がないことから、今日ではこれらの呼称はあまり用いられていない。
家庭教師には空海、最澄が相次いで唐に渡航し、密教が日本に伝えられた。空海、最澄らが伝えた仏教思想や文物は美術の面でも大きな影響をもたらし、密教曼荼羅や、奈良時代には見られなかった本格的密教彫像がつくられた。日本の文化は常に中国大陸および朝鮮半島を主とする外来文化の影響を受け、仏教が文化全般に多大な影響を与えていた。それは平安時代も例外ではないが、この時代は、受容した外来文化が和風化し、文化のさまざまな面で「和様」が成立した時代としてとらえられる。遣唐使が中止された9世紀末以降、文化の和風化が進展し、漢字を元にして日本固有の文字である仮名が考案され、和歌や『源氏物語』に代表される物語文学が盛んになった。これらの文学は、絵画や書道作品のテーマとなり、工芸品のデザインにも大いに影響している。また、仏像、絵画、書道、寺院建築など、造形芸術の各方面で和様が確立した。平安時代後期には源信(恵心僧都)の『往生要集』などの影響で浄土教信仰が盛んとなり、また、1052年を「末法」の年と信じる末法思想(「末法」の年以後、釈迦の唱えた正しい仏法が行われなくなると信じられた)が流布した。このため、貴族らは西方極楽浄土への往生を願い、各地に阿弥陀堂や阿弥陀如来像が造立された。
阿弥陀聖衆来迎図(高野山有志八幡講)
普賢菩薩像(東京国立博物館)
不動明王二童子像(青蓮院、青不動)
不動明王二童子像(高野山明王院、赤不動)
五大力菩薩像(高野山有志八幡講)
絵巻物
源氏物語絵巻 東屋
源氏物語絵巻(徳川美術館、五島美術館)
鳥獣人物戯画(高山寺)
信貴山縁起絵巻(朝護孫子寺)
伴大納言絵詞(出光美術館)
粉河寺縁起絵巻(粉河寺、京都国立博物館寄託)
地獄草紙(東京国立博物館、奈良国立博物館)
装飾経
平家納経(厳島神社)
扇面法華経冊子(四天王寺、東京国立博物館ほか)
彫刻
阿弥陀如来坐像(平等院鳳凰堂)
一字金輪坐像(中尊寺ほか17箇院)
工芸
片輪車螺鈿蒔絵手箱(東京国立博物館)
建築
平等院鳳凰堂
中尊寺金色堂
店舗デザインの年であり、源頼朝によって全国に守護地頭が設置された1185年を鎌倉時代の始期とすることが多い。1180年には平重衡による南都焼き討ちで奈良(南都)の2大仏教勢力であった東大寺と興福寺が炎上したが、このことは美術史上、象徴的な事件であった。焼失した東大寺の大仏と大仏殿、興福寺の堂宇や仏像はただちに再建計画が進められたが、大仏と大仏殿の再建担当者に任じられたのは渡宋経験のある俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)であり、彼によって宋から伝来の新建築様式の大仏様が導入された。また、東大寺や興福寺の仏像再興には、康慶、運慶、快慶らの仏師が登用された。
クーリング オフの前期には引き続き院政が行われていたものの、政治・文化の中心は次第に鎌倉へ移っていった。平氏は華麗な「平家納経」を残したことでもわかるように、一面で貴族文化に憧れをもっていたが、代わって政権をとった源氏は純然たる武家であり、美術の主要な享受者も前時代の貴族から武士へと移っていった。この時代には栄西、道元らの入宋僧によって日本にも本格的な禅宗が伝わり、比叡山などの旧仏教の圧迫を受けつつも、徐々に勢力を伸ばしていった。13世紀に京都の建仁寺建立を皮切りに、鎌倉にも建長寺、円覚寺などの本格的な禅寺が建立された。
南北朝時代は美術史的には過渡期ととらえられ、鎌倉時代に含めて論じられることが多い。ただし、刀剣武具の分野に関しては、長大な大太刀の流行など、明らかな「南北朝時代様式」があり、鎌倉時代とは別の時代とされることが多い。
予備校 現存するものは1955年の再建
伝・周文 竹斎読書図南北朝分裂の時代を経て、室町幕府3代将軍足利義満の時代、1392年にようやく南北両朝は合一し、文化の中心は再び京都へ戻った。義満は京都の北山に山荘を営み(後の鹿苑寺=金閣寺)、この時代の文化を北山文化と呼ぶことがある。8代将軍の足利義政は為政者としての務めを怠り、茶道、書道、唐物(中国渡来の文物)愛玩などの趣味にふけっていたが、そのため文化の振興には大いに貢献した。彼の山荘(後の慈照寺=銀閣寺)が東山にあったことから、その時代の文化を東山文化と称することがある。義政の東山山荘は、後の書院造の原型であり、日本の伝統的住宅建築のルーツとなるものである。歴代の足利将軍は禅宗に帰依し、これを保護したため、京都を中心に禅宗寺院が隆盛し、そこから造園、文学、茶道など、さまざまな文化が生まれた。
スキャナもこの時代に観阿弥・世阿弥により完成されたものである。室町幕府が滅亡した1573年から、徳川政権が確立するまでの時代を指す。美術史上の区分では、豊臣家が滅亡した1615年までを桃山時代とすることが多い。半世紀に満たない短い期間であるが、美術史上は特に絵画と建築において特記される時代である。城郭建築が発達し、権力のシンボル的な天守閣が築かれ、御殿は華麗な障壁画で装飾された。室町時代に始まった茶の湯は千利休によって大成され、前時代の書院の茶から、草庵の茶、わび茶という独特の美意識が形成された。